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起業動機[2]

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私は小学生の時、両親が離婚をして、母子家庭となりました。
その為、県立高校に入学し早々学校公認でアルバイトに明け暮れました。通行量調査・家具屋の配達・町工場で作業・ メインはハンバーガー屋(個人オーナーの店)で働いてお金を貯めました。
勉強する時間も取れずに、高校の成績は学年で常にビリから2番目で落第スレスレでした。大学進学を諦め、教師に なる夢も諦めました。
高校の進路指導では、卒業後直ぐに焼き鳥の事を学びたいので、焼き鳥屋に就職希望を出しました。
しかし、高校の担任と、焼き鳥屋の叔父から猛反対され、あえなく断念。
そこでもう一つの夢である鉄道会社に就職し運転士を目指します。無事に大手私鉄に入社でき駅員になる事が できました。駅員の経験を積み車掌の試験を受験しますが、視力が足りない事と適正検査で不適合判定となり、 運転士の夢も絶たれました。そんな事も有り、鉄道の本社(経理部)に人事異動となりました。そこの部署は会社 の中枢でエリート社員ばかりの堅苦しい雰囲気で、残業も夜遅く、仕事について行けず急性肝炎で死ぬ寸前の所で 緊急入院することになりました。退院後は駅員に復帰し、静かに退職まで普通の駅員を続ける決断をし、おとなしく 駅員を続けて居ましたが、社内ベンチャー事業の公募が始まり2回のチャレンジをしました。
2回目のベンチャー事業公募チャレンジの際に、駅中に朝定食が簡単に食べられる飲食店の提案をしました。 この頃から飲食業界の経営者と話をする機会が増え、飲食業の実体験を直に聞くことで、わくわく感を強く感じ ました。それがきっかけで、以前からの夢である焼き鳥屋を開店する決心をして、17年間お世話になった鉄道会社を 退職しました。
退職金500万円と銀行から2,000万円の借金をして、2003年に『鉄道居酒屋ぽっぽ屋』開店、これが飲食業界に 携わった始まりです。


  • <35歳で挫折>

  • 私が独立開業を決めた35歳の頃、妻と長男がおりました、妻や妻の親類からは猛反対をされましたがそれを振り切り 会社を辞めました。丁度その頃、知り合いのキャバクラを何店舗も経営をしている社長から、赤坂にレストランを出店する ので手伝って欲しいと言われ、オープンまでの間、住み込みでキャバクラで働きました。
    しかし、レストランの工事が難航し、いつになっても開店せず、その歳でキャバクラの仕事は非常に、この仕事も辞めさ せてもらいました。


  • <独立開業>

  • そんなことがあってから半年後、お世話になったキャバクラの社長から「加藤の家の近くで、閉店する居酒屋が出る、 内装や厨房設備はそのままにするらしいから見て来てほしい」と電話がありました。店は広く、中々雰囲気の良いお店 だったので、話はとんとん拍子に進み、私がその居酒屋をやる事にしました。その頃の私は、右も左も分からなかった 為、言われるまま銀行融資を申し込み、2,000万円の借り入れをしました。
    【店は、120席もありました。今なら絶対にこんな大きな店はやりませんし、誰にも勧めません。なぜなら客席0の キッチンカーで充分稼げるのですから】こんなに大きい店は、いくら美味しいお料理を出したとしても、ごく普通の 居酒屋では勝つことは出来ないと考え、元鉄道員の強みを生かしコンセプトを『鉄道居酒屋』にしました。
    店内は鉄道グッズで溢れ、踏切警報機やパンタグラフ、電車の吊り革など所狭しと飾りつけ、お料理も、日本全国の ご当地グルメや、電車の名前の付いたメニュー、(1番人気は相鉄ピザ=ホウレンソウ生地のガーリックピザ)や 電車カクテルなど鉄道色満載なお店にし、私も駅長の制服と帽子で接客をしました。


  • <成功と挫折>

  • 開店数ヶ月で全国から鉄ちゃん(鉄道マニア)や現役鉄道員が集まり、店は繁盛し、順調に売り上げも上がって いきました。しかし突然、入居のテナントビルのオーナーが破産しました。原因は親が残した財産で、バブル期に 建てた投資目的の物件だった為です。


  • <人生のどん底を経験>

  • 私は、泣く泣くその年いっぱいで店を閉め、借金だけが残りました。マンションのローンも含めると7,000万円近く の借金になり、返せる金額では無い為、弁護士と相談し申立を行いました。そして、妻が子供を連れて家を出て行き ました。なんと、その時の私の財布には一円玉数枚しか無く、本当のどん底を経験しました。


  • <レオパレス>

  • ひとり残されたマンションで雨戸を閉め切り、布団を頭から被り、死にたいと考える日々が続きました。家に残った 金目の物と鉄道グッズを片っ端からオークションに出品したり、リサイクルショップに持ち込み、何とか食い繋ぎました。 丁度その頃マンションは売却に出しており、仲介の不動産屋の社長から、100万円を前払いして貰い、レオパレスに引っ越し ました。それから残金が尽きるまで仕事もせずにパチンコ屋に通いスロットにハマっていました。夕食は開いてる店が無く 毎日のように回らない寿司屋と焼肉屋に通いました。その寿司屋にはいつも同じ、お金持ちらしき人物がお酒を呑みに きていました。私は、「向こう側の人物になってやる!」と決心しました。


  • <再出発>

  • 私の破産は成立しましたが、母親を連帯保証人にしてリースを組んだ(ホシザキの厨房機器一式・200万円)の返済は まぬがれず、ダブルワークで睡眠3時間程度で毎日働き続けました。しかし長期間、3時間睡眠では体が持たず、職を変え ざるを得ませんでした。しかしそこも長続きはせずに、またもや退職となりました。
    その後、知り合いの紹介で、大井競馬場を運営する子会社の A社に契約社員で入社し、コンビニの品出しの仕事をする ことになりました。2007年の夏、大井競馬場の関連会社である東京サマーランドのプールでうどん屋の店長を任されることになりました。大好きな飲食に再び関わることができ、自分の夢が蘇ってきました。うどん屋は、前年までの売り上げを大きく上回り、1日の売り上げが100万円を超える日が何日かあり、フランチャイズ本部や東京サマーランドの責任者を驚かせました。


  • <食品業者との出会い>

  • サマーランドで、今でも取引がある『アラカルトフーズ株式会社』様と出会いました。とにかく美味しいもの、お客様に喜んで頂けるものを販売したいとの思いから無理難題を色々と聞いていただき、うどん店は大繁盛しました。ところが、夏も終わり、毎日が楽しいわくわくのうどん屋も残念ながら閉店となり、コンビニに出戻りとなってしまいました。しかし、私に とって、コンビニの仕事は興味が持てず、飲食業に戻る決断をし、ここでも、またもや退職しました。


  • <喰の道場との出会い>

  • そして、飲食店開業のために物件を探していた時、集合店舗と出会います。「喰の道場」という、1店舗が4坪8席程度 の小さいお店が10店ほど集積した、屋台村のようなところでした。
    *喰の道場とは*海老名市内の商店会の有志により 2004年 9月に設立された、商店街活性化の取り組みのひとつ、社会実験型集合店舗 4年間で卒業し市内で開業を目的とする。
    そこで、念願の『鉄道居酒屋・ぽっぽ屋』を復活させたのです。小さい店の中全体に鉄道模型が走り回り、昔のお客様も開店 を聞きつけて鉄道グッズをおみあげに頂き、鉄道色で埋め尽くされました。


  • <ご当地B級グルメ・ブーム>

  • 料理は、日本各地のご当地グルメを中心にしたメニューを出しました。その頃ちょうど、ご当地グルメでまちおこしの祭典!『B1グランプリ』が毎年行われ国民的行事になるほど、食の祭典が各地でも行われていました。


  • <神奈川フードバトル金賞受賞>

  •  2009年の 5月5日・6日神奈川県厚木市で神奈川のご当地グルメナンバー1を決める食の祭典が行われ、『海老名 のとん串』を開発し出店しました。*海老名のとん串とは*神奈川県海老名市のご当地グルメ。 ブランド豚「神奈川産の豚肉」を海老名の酒造いづみ橋酒造の酒粕とハーブなどに漬け込み、串に刺して焼いたもの。
    2日間で約4,000本を売上、金賞を受賞。受賞後直ぐに、神奈川県知事もわざわざ海老名へお越しになり召し上がって 行かれました。民放テレビ各社や雑誌『横浜ウォーカー』などに特集されたり、コンビニ弁当にも採用される程 人気となり、お店には遠方からも多くのお客様が詰めかける程話題となり、急遽商店会などのご協力により、 海老名市内で3店舗『海老名のとん串』を出すまでに成長。


  • <当社のキツチンカー事業の始まり>

  • 神奈川フードバトルの金賞受賞の直後からテレビなどを観て、イベント等への出店依頼が入る様になりました。 ご当地グルメでまちおこしの祭典!『B1グランプリ』ゴールドグランプリ受賞の『横手やきそば』の公式ライセンス も取得しており、さらに出店依頼が急増したため、自社のキッチンカーを新古車をローンで購入してキッチンカーで イベント出店したのが、弊社の「キッチンカー事業」の始まりです。


  • <キッチンカー専業に>

  • 喰の道場の卒業も間近になり、キッチンカーの依頼も多かった為、私は、キッチンカー事業1本に絞りました。運良く、東名高速の港北パーキングエリアでの出店依頼があり、常駐で販売させて頂きました。高速道路は休みが無く、大雪で通行止めになった日以外は約4年間ほぼ無休で営業を続けました。元々の夢である焼き鳥を中心に本当に美味しいものだけを 追求し、炭火で焼いた「焼き鳥・海老名のとん串・オリジナル生ソーセージ」を販売し、毎日通って来る常連さんも 多く、笑顔と美味しいと言ってくださる事に励まされ頑張りましたが、港北パーキングエリアとの契約も終了し、ここでの キッチンカー事業も閉店となりました。
    この時に休み無く現場に立ち続ける体力の限界を感じました。そして、自分のキッチンカーをヤフーオークションで手放しました。


  • <中古車買取専門店>

  • 私は、キッチンカーを手放した後、数年間中古車買取店で働きました。そこで、何台ものキッチンカーを手放す方々と 出会いました。廃業をしてキッチンカーを売る人、キッチンカーを作ったが営業開始が出来ずに売ってしまう人など 様々な出会いがありました。キッチンカーを中古車買取に出すと安く買い取られてしまうのです。色々な想いのある 車が無情に売買をされている事に心を痛めました。


  • <コロナウイルスが日本上陸>

  • そうこうしているうちに、コロナが日本に上陸し、中古車買取店の仕事も全く無くなり退社しました。その時は今後どうなるのか?全く見通せない不安な気持ちでいっぱいになりましたが、その様なコロナ禍の中で、非接触で食を提供できるキッチンカーに注目が集まり、国・東京都・神奈川県などでは、感染症対策補助金が創設され、キッチンカーへの事業転換をする方も増えておりました。


  • <キッチンカー販売事業スタート>

  • 私は、今まで、たくさんの失敗をしてきました。でも、その失敗を乗り越え、たくさんの人たちに支えられ、神奈川フードバトル金賞、コンビニ弁当採用、2日間で串焼き4,000本売上など、「食べ物を売上げるノウハウ」を身につけることができました。そして、自分がキッチンカー事業で多くの失敗をしたおかげで、どんなキッチンカーを作ったら、買い手が嬉しいのかも熟知することができました。
    その経験を活かして、買う人が後悔しないような「キッチンカーを製造・販売する」そして、単なるキッチンカー販売だけでなく、「キッチンカーで食べ物を売上げるノウハウ」や「どういう場所で売ったら、売上が上がるのか」など、キッチンカーで成功するノウハウも一緒に提供して行きます。
    これからキッチンカーで事業を始める人のために、買って後悔しないキッチンカーの製造販売、そして「飲食 X キッチンカー」で成功するためのノウハウを提供して、キッチンカー事業で多くの人が成功して頂けるように尽力して行きたいと思っています。
    頑張ります!


    最後までお読みくださいまして、有難うございました。

    会 社 概 要

     社   名 : 株式会社 i – ぽっぽ屋

     代表取締役 : 加 藤 裕 明 

     設   立 : 平成 23年 6月 8日 

     所 在 地 : 神奈川県相模原市緑区若柳973-4

     電 話 番 号 : 0428-16-3004

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